久しぶりの更新ですが、
我が家に2人目ができつつあります。

彼女のお腹は、パッツンパッツンで、
あと、数週間で2人目が誕生となります♪
あのドタバタした嫌な1日を過ごすハメになりそうです。
とはいえ、最近は、彼女が身重だから、まったく遠くには
行かずに、もちろんお盆も計画無し状態の我が家です。

『落ち着いたら、どこかに行きたいね』
と昨日寝付きながら2人で話していましたが
結構行きたいと思うところがあまり無いような。。。
そんな感じになって。
『だけど、世界遺産に認定されたところぐらいは
順番に行ってみない?』
と話し合ったりもしていました。
世界の遺産なんですもんね~

ってところで、『
日本にある世界遺産』のサイトの紹介。
でもさ、正直、テレビっ子の俺としては
結構いい景色をテレビで見てたりしてるのよ。
だからさ、なかなか本物のいい景色を見てもさ
あー、テレビで見たことがあるぐらいのことしか

思わなくなってる自分がいるのよ。
情報過多の仇だよね。
なんか楽しいことが無いかな~
あーあー、ひーくん帰ってきてくれないかな~
つまんねーや♪
久しぶりの更新である。
私は、技術職に勤めている。
年に10回ぐらい、お客様の所に行き
打ち合わせをしたり、クレーム調査をしたりしている。
ついこの前も出張があり、
散々の内容であった。
その内容の詳細をここには書かないが、
技術という立場で働いてきた自分の自信が無くなってきた。
仕事が辛いと誰のために何のために
がんばっているのか?
と、立ち止まって考え、
彼女のためであり、子供のためであると
答えを出して、強引に前向きに自分を導いている。
その出張の帰りの車の中で、久しぶりにCDを聞いた。
ミスチルの
『タガタメ』である。
”子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?”
の部分で、涙が出そうになった。
この曲の歌詞を再考したくブログを更新する。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ディカプリオの出世作なら
さっき僕が録画しておいたから
もう少し話をしよう
眠ってしまうにはまだ早いだろう
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ディカプリオの出世作は、『ボーイズ・ライフ』と
考えていた。
どこかのサイトで、『ギルバート・グレイプ』と
書かれており、
彼女に聞けば、『タイタニック』?と答えられた。
前述の2作品は、サビの部分の歌詞
子供たちと社会との関係に触れる内容であり、
また『タイタニック』だとしても、
その後に続くロマンチックな語りと連鎖しており、
あいまいなままにしたい。
”ロマンチック”と”子供と社会との問題”
のどちらの印象も兼ねていると思う。
また、この出だしの語り口の感じが
訴えたいサビの部分からは、かけ離れて
軽く入っている感じがいい。
”もう少し話をしよう”の歌い方が特に好きである。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
この星を見てるのは
君と僕と あと何人いるかな
ある人は泣いているだろう
ある人はキスでもしてるんだろう
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ロマンチックなムードで語るくだりである。
”君と僕”は、決して”僕と君”ではなく、
相手が中心となった僕の位置づけを意味する。
そして、”あと何人いるかな”で
その前の軽い感じで入った個人的な内容から
社会的なものへ、視点を変化している。
”ある人は泣いているだろう”
その後に続くのは、
ある人は、笑っているのではない、
"キスでもしてる"のである。
泣くの対義語として存在する笑いとは、
『高笑い』という言葉があるように、
自分中心の感情からくる行動である。
ここで語りたいのは、”泣いている”社会の構造であり、
泣いているその"ある人"の個人的な感情ではない。
だから、次に続くのは、
”キスでもしてる”といった『愛』を共感している行動となる。
無論”ある人”といった抽象的な表現は、
その社会性の意味を強調しており、
また”キスでもしている”といった内容が
この星を見ながらキスをしている『ロマンチック』な
状況をより演出している。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ここで、ロマンチックな内容とは打って変わって
伝えたい内容が唐突に出る。
ロマンチックな愛情の満ちた環境にいる
聴者に、痛く心に響く。
”子供らを被害者に”且つ”加害者にもせずに”
敢えて、ここでは、”加害者”を加えている。
”何が起こっても変じゃないそんな時代”なのであり、
テレビで連日放映されている
子供による凶悪犯罪が起こる社会を嘆き悲しみ、
そして、”まず何をすべきだろう”と
自分としての責任を問いかけている。
なぜなら、”連鎖する生き物”であって、
その子供を”一方”的に”裁けない”からである。
自分が最近遅まきながら思うことことの1つに
『時代の乗り手から漕ぎ手に変わった』
ということがある。
それは、この時代を作っているのは自分たちであり、
またこれから来る未来像を描くのも自分らに担っているということである。
高度経済成長期に生きた親たちの
昭和の頃に描いていた近未来像は、
もっと明るく豊かな社会であった。
私たちももっと明るい未来像を掲げるべき
思っている。
そして、現在についても、
このゆがんだ社会に対して、何をすべきかを考え、
少しでも行動していくべきなのだろう。
”涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?”
個人が社会について考えたとき
虚しくも無力さを思い示される。
私たちは、
”ただただ抱き合って
肩叩き抱き合って
手を取って抱き合って”
生きていくしかない。
そうすることが、よりよい社会になると
信じるしかない。
2番目の歌詞では
社会的なそんなメッセージの後に
個人的な部分に戻っている。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
明日 もし晴れたら広い公園へ行こう
そしてブラブラ歩こう
手をつないで 犬も連れて
何も考えないで行こう
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
”何も考えないで行こう”
悲しい現実を考えてしまう自分からの
現実逃避であり、無力な自分を直視した
結論である。
なんて悲しい歌詞なのか。
個人的にできることはないのか?
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
最後に断言口調でこの歌詞は終わっている。
何度となく繰り返された”性懲りもない”セリフであるが、
”愛すこと以外にない”のだ。
社会は個人が集まった集合体であり、
自分の”左の人 右の人”を”愛すこと”で
社会は良くなるのだ
それ以外に、自分らにできることはない。
誰のためでもない。
愛する彼女のためでもあり
愛するわが子のためでもあり
そして、自分のためでもある。
誰が為に私はここにいるのか
何をすべきなのか
もう一度考えたい。
今日も
ある子供は、民族紛争での弾の音におびえ、
ある子供は、栄養失調で横たわり、
ある子供は、ゴミの山と化した所から糧を探しており、
ある子供は、金を脅し取り、レイプを犯している。
私的なことであるが、
技術としての不甲斐ない自分よりも前に
もっと無力な自分の存在を知り
なによりも誠実に生きたい思った。